こんにちは!Ryotaです!
ここでは、さらにRyotaについて知って頂くために、恥を忍んで、ネットビジネス(アフィリエイト)で収入を得ることができ、再起できるまでの道を書き記してみました。ここから何か感じてもらうものがあれば、これほど嬉しいことはありません。
小さい頃から社会に対する恐怖が生まれる…
自分は四国地方のあまり都市機能が発達していない所の出身で、学生の頃はおとなしく、勉強が全てみたいな感じで運動も苦手でした。
小さい頃から、自分は集団というものが苦手で、他人と同じ空間にずっと居続けるということが苦痛で仕方ありませんでした。
あなたは、学生の頃クラスではどうだったでしょうか?同級生のみんなと話したり遊んだり、勉強を教えあったり、放課後遊んだり、色々な良い思い出がたくさん頭に思い浮かぶのではないでしょうか?
だけど自分は、教室が「苦痛な空間」でしかなかったので、我慢した・耐えた思い出はたくさん浮かぶのに、楽しかった思い出は、脳の中からほとんど出てきません。授業の時間はまだ良くても、休み時間は苦痛でしかありませんでした。
中高生でさらに社会に対する恐怖心はひどくなり…
その傾向が中学生になっても続き、中二の時に自分は決定的なひどいいじめに遭います。
もう正確な記憶もありませんが、全く自分に身に覚えのない事で因縁をつけられ、
靴やかばんや物を隠されたりは日常茶飯事で、そんな中、遂に決定的なことが起こりました。
自分を暴言で罵りながら、自分の腹を何度も何度も激しく殴ったり蹴ったりしてきたのです。
それがまだヤンキーとかのいかにも悪い奴ってのならまだしもですが、いかにも見た目普通の奴がそんな事をやってくるんですよ。
でも、その時の自分は「やり返したらこいつらと同レベルに堕ちてしまう」「だから耐えろ」という必死の思いで耐えました。
しかし、家に帰ってホッとしたのか、いきなり自分の口から大量の吐血が…洗面所に飛び込み、何とか事なきを得ましたが、さすがに家にいた母親に経緯を聞かれ、「そのいじめた奴に謝らせる!!」とすぐに相手の親に電話し、強制的にそのいじめた奴に謝罪させました。
今(2018年現在)と違って、自分の子供の頃(1980年代後半~1990年代)は、「いじめられたらやり返す」あるいは、「いじめた子供の家族はちゃんと子供に謝罪させる」のは当たり前でした。
今現在ならこうはならないでしょうね。闇に葬られるんじゃないでしょうか。
そんな当時の自分でも唯一、自分の中で救いだったことがあります。
それは「テストの点数が学年上位」だったこと、「陸上競技だけがとても得意だったこと」でした。
勉強が他の人間より遥かにできていたことで、「先生や、他のクラスの子達からは」嫌われることはありませんでした。
本当に勉強ができていたことで自分はかろうじて社会の中で救われていました。
小中学生の時は、どうやら自分が、あまり人と話さない様子が、集団の中でかなり浮いていたようで、クラス内いじめの標的になっていたようなのです。
クラス全員というわけではなかった事と、勉強の成績が、小中学生は幸いにも良かったことが救いでしたが、
特定の人物に罵られる、ものを隠される、腹を殴られるなど…
普通ならば、楽しい思い出がいっぱいあるはずの学生生活は、ただただいじめや無視などの扱いに耐え忍ぶ日々でしかなく、自分にとっては、学校という場所は、最悪の場所でしかなかったのです。
そしてなんとか受験に合格し、高校生になったのはよかったのですが、元々自分は「文系」で、数学が特に大の苦手でした。
高校の数学がついていけるのかすら心配だったのですが、見事に悪い予感があたり、
全く内容が分からず、テストでも赤点を連発するようになります。
さらに運悪いことに、担任が「数学の先生」だったことから、その担任に事ある毎に呼び出され、
「何でこんな簡単な問題が解けないのかね?」など罵倒され続け、自分は、唯一救われていた「勉強」からも見放され、一切の精神的余裕がなくなってしまいました。
あまりのショックに、休み時間などにも、誰とも話したり遊んだりしないようになり、いよいよ精神的に不調をきたすようになります。
高校3年生の時には、遂に高校の校門に来た時には恐怖の余りに号泣するまでになってしまい、大学受験の大事な時に、遂に10数日間高校を連続で休みました。
高校の卒業要件には、何日以上休んではいけない、という条件が、確か生徒手帳に書いてあったので、そのギリギリいっぱいまで休んだと記憶しています。
そして、何とか無理やり滑り止めの大学には合格し、隣県で一人暮らしをスタート、心機一転、通おうと思ったのですが、
この高校での社会生活の失敗が響き、友達が一人も出来ない、いつしか全く行かなくなり、というよりは、大学に行くのが怖くなり、3カ月も経たない間に退学する事になってしまいました。
これで、自分の中で、社会・組織に対する恐怖、というものが決定的になり、
普通ならいくらでも出来るようなアルバイトですらも、面接の電話をするのにもすごく勇気がいったり、運良く採用されても、1~2カ月しか続かない、といった傾向ばかりでした。
バイトさえ出来ないのだから、正社員なんて出来るわけがないですよね。
大学通えない、すなわち大卒という資格は得られない、すなわちほぼ就職というのは、大学卒業であることが現社会ではデフォルトですから、就職でのレールからも、自分はドロップアウトしてしまったわけです。
社会というものの、最初の訓練ともいうべき場所が、つまり「学校」なわけですよね。
大人になって冷静に考えれば、「学校」は「社会組織で生きていくための処世術を自然にあるいは意識的に学ぶ所」であるのだとわかりました。
つまり、自分は、社会組織で生きていくべき最低限の処世というものが、不可能になっていたのです。
ここまでは自分の成人になる頃までですが、これ以後からが、後の自分のターニングポイントに繋がる出来事が次々に起こってきます。
大学でも社会集団に適応できない日々が続く…
大学に行けなくなった自分は、食事の買い物以外は、一人暮らしの部屋にこもる日々が続きました。もちろん、大学からは実家に連絡が行くわけで、
部屋にやってきた両親から、特に父親からは殴られる寸前まで怒鳴られました。結局大学ですら私は引きこもり同然となってしまい、結局合格した大学は辞めることになりました。
自分の人生の最初のターニングポイントが訪れる!
しかし、ここで自分にとって、ひとつのターニングポイントとなるものに出逢いました。
ある日、用事があって、一人暮らし先の郵便局に立ち寄ると、あるパンフレットがありました。それをふと見ると、「放送大学」と書いてありました。
詳しくは「放送大学」で検索して頂きたいのですが。「なんだろう?」と見てみると、
通信教育という形での大学で、大学卒業を資格を得ることが可能である!と書いてあるではありませんか!?
この時の自分の頭の中では、「せっかく一人暮らしを始めたのに、何とかして一人暮らしを維持したい!」と思っており、
この放送大学は、通信教育ですが、実際に都道府県の国立大学内などに設置されている、サテライトスペースに実際通って、授業を収録したビデオやテープを自分で聞き、自分の責任で学習する、というスタイルなのです。
この時の自分にとっては恐怖でしかなかった、同年代の人間を気にすることなく、本当に勉強したい人ばかりが集まっている、最高の学習環境でした。
両親には、もちろんちゃんと大学の勉強をするから、一人暮らしをさせて欲しい!と懇願し、何とか一人暮らし継続を許してもらい、必死にその放送大学で勉強を重ねました。
それからというもの、今までが嘘のように、毎日の生活が充実し始めました。毎日某国立大学内にある放送大学のサテライトスペースに通いながら、毎日昼から夕方までずっとこもって勉強していました。
そして順調に単位も取得でき、一歩一歩大卒の資格取得へと歩みだしたのです。そして、5年程経った時、卒業の目途がついたのです!
そしていよいよ大卒となる!久しぶりに、社会に出ても大丈夫かも?と前向きになり、ある企業に入ることが出来たのですが…そんなには甘くなかったのです…
何とか就職したものの…
なんとか某企業に就職することは出来たのですが、前回までの流れを把握されている皆さんならお気づきかと思いますが、自分はアルバイトすらも、2か月以上継続できた試しがなかったわけです。
アルバイトというのは、社会で正社員として継続して働くための、いわば練習でもあるわけですよね。
なのにも関わらず、自分は、いきなりそれをすっとばして、正社員になってしまったわけです。
最初にも述べたように、当時の自分は、赤の他人と同じ空間に長時間居続けることが怖いというか、「なんでこんな所にずっといなくてはいけないのか?」と冷静に思ってしまうような人間でした。
普通なら、正社員になれるということは、「生活が保障されること」を、世間の常識とされる世界では意味しますが、当時の自分にとってはそんなことより、
「耐えられない、早くここから出たい」事のほうが重要であり、それしか思ってなかったです。もちろん仕事にも身が入るはずもありません。
電話応対などの、社会人としての最低限の常識も、例えば大学に属していて、普通の流れだと就職ガイダンスというものを必ず受けますよね?
ここで、大学生は、必ず就職してからの心構えや、最低限身に着けておくべき技能などを習得していきますが…
大学からドロップアウトしていた自分は、もちろんそんな事を受けることも出来ず、働く、という常識とされることですら、継続できない状態であった自分には、
最低限の社会人としての技能もなく、もちろんその某企業では、他の社員には呆れられるだけでした。
そしてたった2か月で、その某企業も半ば「もう来なくていい、辞めてくれ」と言われ、即辞めてしまいました。
それから2018年時点で約17年経ちますが(この17年間にもあるのですがそれはおいおい)、正社員として1度として、無事に勤め上げたことが出来た時がありません。
おそらくほとんどの皆さんは、「なんて人だ」「社会人としては失格だね」と考えていると思います。
が、しかし、今の冷静に考えられる自分からすれば、「日本の社会組織というものに、縛られなくてよかった」と心から思えるわけです。それは何故そう思うのか!?
何故「社会組織」に入らない事がいいのか?
何故、自分は「日本の社会組織に縛られなくて良かった」と思えるのか?
まずそのためには、「あなたは、社会組織に長時間ずっと居て何故正常でいられるのか?」という問いから始めないといけません。
海外の事まで考慮するとややこしくなってしまうので、あくまで日本社会限定として述べますが、
通常、私達は基本的に、生まれた瞬間、ゼロ日ゼロ分ゼロ秒から、その生まれた国での政治や制度や、常識・普通・正常とされるもの、
もっと厳密に言えば、その国の限られた全く正体不明の人物が「勝手に」決めた、普通とされること、正常とされることを、ゼロ歳から、基本的に先に生まれている両親から「育児」という名のもとに、施されて育てられます。
要は、体のいい「洗脳」ですね。
基本的に、その国で生きていくならば、その国で正常とされることを目指し、生活する必要がありますよね。
もちろんそうでなければ無法地帯となるのが関の山なので、一見正しいように見えますが、社会組織で働くことこそ「偉い」んだ!と。逆に、社会組織になじめない人間は、ダメなんだと。軽蔑してもいいんだぞ、と私達は全員、生まれた時からずっとそう認識させられているのです。
私は、この「体のいい洗脳」に長年苦しめ続けられて来ました。
そして、今、社会組織とは完全に離れた生活を送ってきて、
「自分はこんな所(社会組織)に、なぜ悩み苦しんでまで行こうとしていたのか分からない」と、「はっきり冷静に」わかってしまったのです。
「社会組織にいても、苦しんで苦しんで、体や心も完全に蝕まれることになる、しかもこれが数十年も続くんだぞ!とわかりきっているではないか!?」
と分かったのです。
今、社会からは完全に離れていますが、収入の件だけは除くと、本当に安らかに、マイペースに、時間を過ごせています。精神も安定し、全くストレスもありません。
だからこそ自分は、「社会組織に入れなくて、よかった!」と自信をもって言えるのです。
あとは収入を安定させることだけなんです。だからこそ、本気でアフィリエイトによる収入安定を目指すことに決めたのです。
日本社会組織では一度でも失敗は「許されない」と思い込まされている!
少し視点を変えれば、日本の社会組織では、「設定されている正常とされることから、意識的にしろ、無意識にしろ、はみ出る・ドロップアウトする」ということは「許されません」。
ここで言う「ドロップアウト」は、日本社会で言えば「クラスでいじめに遭い続け、人間不信になり学校に行けなくなり、社会との接点を絶たれる」
「就職活動に失敗し、正社員になり損ねてしまい、アルバイトや派遣社員などにしかなることが出来ず、世間から疎まれ、居場所がなくなる」
というような、いわば自分のような状況に置かれた人間の事を指します。数え上げればキリがありません。
日本社会は特に「一度失敗した者には、再チャレンジの機会を与えません」!
自分のように、一度でも社会システムからドロップアウトした人物は、何もドロップアウトすることなく生活できて成長できた人物より、数兆倍の苦労・災難を呼び込んでしまいます。
それは、日本の社会組織という中に、この場合分かりやすく言えば
「"会社"や"正社員"で生きていけない人物は、落ちこぼれであり、いくら蔑んでも構わないのだ」
という、洗脳にも近い意識がいつまでも私達の頭の中には、永遠にうごめいているからなのです。
そうなんです。あなたももちろんのこと、ほとんどの日本人は、生まれながらに、「社会組織で生きることこそが正しい」と思い込まされているんですよ。
毎日朝早くから、満員電車でギュウギュウ押し込められ、その満員電車で、痴漢という冤罪を押し付けられる危険と隣り合わせで通勤、
会社では上司に罵られ、夜遅く10時過ぎてやっと帰っても、休める時間や趣味の時間、子供と遊ぶ時間など全くなく、たった数時間でまた地獄の元の会社へと逆戻り…
などの、「わざわざ苦しくなる」ほうへ、なんの疑問も抱かず、老齢年金受給開始の65歳までこの状態が続くことを、「あなた自身が」望んでしまっているのです。
得体のしれない「社会常識」に私は蝕まれていた
だからこそ、自分のような、一度も正社員として、継続して、安定して、他者との労働というものが出来ないでいる人物にとっては、
「他人の設定した常識に縛られている”社会集団”には、堂々といる居場所はどこにも無い」
ということなのです。
この「社会常識というかなりの邪魔な意識」に、自分はかなり苛まれていました。
ちょうど16年前(2002年頃)のことです。自分は社会で働けない分、極端な夜更かし状態となっており、体調も良くなかったのですが、
あまりにもその時点での「社会で働けない自分」に耐えられず、真夜中に突然体が震えだし、泣き叫ぶほどの重症でした。
しかし、このあと、同い年の友人との出会いがあり、自分を冷静に見つめることが出来るようになり、
「自分は何を社会常識に縛られて、勝手に苦しんているのか?」
「自分がおかしいんじゃ決してないんだ」
と少しづつですが、思えるようになり、
またいいタイミングで、アルバイトも決めることが出来、少しづつ状況が好転していきました。
そして、自分は今何とか生活できていますが、固定収入は2016年より受給できるようになった、障害基礎年金2級のせいぜい7万円ほどなので、
このままでは、老後ももちろんのこと、毎日の生活も充実したものにしていきたいけど、でも、あまりにも収入は少ない…どうしたらいいのか…
そこでネットサーフィンをしている中で発見したのが、
「インターネットをフルに使い、
収入を得ていく!」という事に繋がっていくんです!
社会組織での労働でのみが「収入」だと思い込まされるな!!
今やインターネットは、PC・スマートフォンなど、誰でもが利用できる環境になりました。
つまり「正常とされている方法は、正社員やアルバイト・派遣社員などのいわゆる”労働”」のみであり、それ以外で得た収入は「汚いものである」、という昭和時代の洗脳が「今までは」通用しましたが、
今や、インターネットが出来る環境さえあれば、収入を得て、自活も十分可能なレベルまで来ているのです!
「社会組織」で働けない事や苦しんでいる人間を揶揄して、自分が上に立ったような錯覚に陥るなど、言語道断であり、もはや遥かに「時代遅れ」だということなのです。
いわゆる「正常とされている」「労働」では、自らの時間を全て他人あるいは他企業に捧げて、その見返りとして、まとまった固定収入・時給を得ることによって生活している、というのが「正常とされている「労働」」ですが、
これを全て、丸飲みで受け入れるということは、
「どれだけ体が壊れようが、どれだけ精神が蝕まれようが、自分の大切な体・精神をあかの他人に捧げる」事でしかないのです。
冷静に、客観的に見ればそうとしか考えられませんよね?
そうなのです。私達が「正常だと思い込まされてきた」「かけがえのない”労働”」は、一歩間違えれば、
単なる「時間搾取強制労働」でしかないのです。
この真実・現実を、
ここに来てくれたあなただけでも、
感じ取って欲しいんです!
決意表明!
自分は、これから、残りの数十年の人生を、正常とか常識とかに支配されてしまっていたために、いたずらに苦しみ続けてしまった人生を、全て充実したものに変えていきたいと思っています!
ここに遊びに来てくれた方は、今までの人生で、特に、日本の社会組織というものの中で、何だかの苦しみを負ってきた方が多いと思います。
自分は、インターネットでしっかりと自活できるように、それこそネットで様々な情報に触れ、学び、インターネットで自活していらっしゃる、たくさんの素晴らしい先輩方に出会ってきました。
ちゃんと安定した収入を得られるようになったら、自分は、今まで貢献できなかった分、社会に何だかの貢献をしていきたいのです!
これから本格的に、スピード感を持って、インターネットを正しく利用し、正しく稼いでいく姿を見せていきます。
自分がこの数十年で得てきた役に立つ知識・経験などはもちろんのこと、
社会組織に属さなくても、インターネットでちゃんと収入は得ていけるんだぞ!というところを、是非ご覧頂いて、
ここに来てくれたあなたが、社会でストレスなく、本来の自分の人生を過ごしていけるよう、「価値ある情報の提供」を基礎にして、頑張っていきます!